仕事について
今日は学生時代のアルバイトについて記憶を辿ってみます。
今も学費や生活費をアルバイトで賄う学生が少なくないと思いますが私の時代もそうでした。
というよりも学生=アルバイトという感じでした。
田舎から出てきてはじめてのバイトは喫茶店でしたがオーナーが嫌いで3日で辞めました。
私にとってはじめての都会ではじめてのバイトだったので勇気を出して「辞めます」と言うのが怖くて前の晩は眠れなかったことを覚えています。
次が2番館と呼ばれるリバイバル版を上映する映画館でした。
時給は法律違反の500円以下だったと思いますが卒業まで続けました。
シフトも比較的自由でしたしやることをやったら適当に中で映画を見ることが出来たからです。
身の危険を覚えたのが高速道路上の警備員です。
これは時給は良かったのでサークルの合宿や個人旅行や彼女へのプレゼント代や臨時出費を補うために時々やりました。
大学3年と4年の2年間儲けさせてもらったのが14時から22時までの間で自由に4時間働いたら5000円という当時としてはあり得ない好条件な仕事でした。
業務内容は電話による職業案内でした。
はじめはやばい会社かなと思いましたが当時はベンチャー企業であったこの会社は今では大企業になっています。
家庭教師もしました。
六本木の戸建てに住む小学生ということで臨時ボーナスもたっぷりもらえるかもと期待して向かいましたが家業が土建屋さんということで裏にはダンプやショベルが置いてありました。
そこの子が頭が悪くて加えてもっとどうしようもない弟まで一緒に教えてくれというので1か月で辞めました。
神宮球場でビール売りをしましたが阪神ファンである私にとってはビールなんか売れなくてもいいので阪神戦だけは欠かさずシフトに入っていました。
調査員出来高払いという求人欄にひかれて面接に向かったのは兜町の汚いマンションの一室です。
そこで小型マイクと録音機を渡され面接もなく「今すぐ行って」と言われたバイトがスーパーの棚を調査する覆面マーケティング調査です。
調査対象としてトイレタリーや化粧品や家庭用品が多かったと思いますが世の中ってここまで営業合戦するんだと少々大人たちが嫌になったことを覚えています。
こうしてたんまり設けたはずのアルバイト代もあっという間になくなって貧乏学生を満喫した4年間が今も忘れられません。
新卒一括採用という特殊な雇用システムを有する日本の場合は就職ではなく就社です。
一度入った会社にロイヤルティを増幅していくのが典型的な日本人でした。
でも今はそうではありません。
学生時代の就職活動で一番フィットする企業を選んで、入社後はそこで成長・成功することが素敵な人生であることに間違いはありませんが、100%うまくいくものでもありません。
恋愛と一緒で「付き合うには理由はないが、別れるには理由がある」ものです。
人生の成り行きで別れてしまった人は次の章をスタートさせなければなりません。
幸いにも私は転職したセカンドステージがうまくはまりましたが、仕事って流されるものじゃなくって好きになれるもののほうがいいかなと、これから就職活動する学生さんたちに小さなアドバイスをさせていただきます。
至誠
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